略歴&思い出
家族の状況と私の仕事
子どもだった自分が、親になる。
人生は進むにつれて、仕事も自分だけの問題ではなくなります。
そんなことも思いながら、
ここでは、看護学校を卒業後の道のりを、家族の状況と合わせて、
ちょっとだけ、まとめてみました。
看護師にとっては、“夜勤”はネックですよね。
| 年代 | 仕事の内容などなど | 家族の状況などなど |
|---|---|---|
| 1984年4月〜 1990年6月 |
自衛隊の地区病院勤務。 夜勤もあり。 内科循環器、精神科、小児科混合病棟3年間。 その後約3年間、外科、泌尿器科病棟。 そのうち半年間は、東京での訓練。 富士山のふもとでテントを張ったりもした。 (野戦病院訓練など) |
寮の個室で、生活。 先輩になってくると、寮は出られるのだが、 官舎というものがあり、結局、同期の子と二人暮らし。 門限はなかったけれど、あんまり無茶はできなかった(笑) |
| 1990年7月〜 1991年3月 |
沖縄の島の診療所で、外来看護業務。 夜は当直制。 嵐で舟が出せないと、盲腸の手術なども、 応急ですることがあった。 (指示を受けながら介助(汗)) |
一人暮らし。空いている一軒家をお借りしていた。 青年会の仲間に入れていただき、 アフターファイブで、エイサーを習う。 村祭りでは、バンドを初体験。 冒険心もあり、出かけたが、 両親が心配するので、帰ることにした。 |
| 1991年3月〜8月 | 島から実家へ戻り、 サンドイッチつくりのアルバイト。 |
父も定年で、出身地宮崎へ帰っていた。 朝5時に起き、昼過ぎまでバイト。 久しぶりに、母ともいろんな話をした。 |
| 1991年9月〜 1993年3月 |
バイトに飽き足らず(?) 志願して、ホスピス勤務。 |
ひとつの夢を実現。 しかし、夜勤もあり、現実は厳しかった。 一人暮らし(当初大阪、その後京都) とにかく仕事に明け暮れた。 |
| 1993年4月〜 994年3月 |
バーンアウト(?)で、退職。 バンドの楽しさが忘れられず、 ミュージックスクールに通う。(ピアノ科) |
京都で一人暮らしを楽しむ。 近くの楽器屋さんで、ドラムを習ったりもする。 で、今の彼とも、ここで出逢っている。 |
| 1994年4月〜12月 | 調理師学校へ通うが、中退。 | いつか音楽をやれるお店をもちたい という夢が、ありました、この頃は。 (今は?(笑)) |
| 1994年10月 | 実は結婚。彼はミュージシャン。 で、生活しなければならないため、ナースに戻る。 |
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| 1995年1月〜 2004年7月 まで |
家から自転車で通える、 内科循環器科医院に勤務。 ※途中、長男出産の2週間前までで 一旦退職。 生後4ヶ月のとき、また仕事することを決意。 整形外科の医院にパート勤務するが またもとの内科に戻る。 ※次男妊娠中も働き続けることができたが、 後数日というところで、早産。 経過はよく、仕事にも2ヶ月目には復帰。 |
1995年10月、長男誕生。 1999年7月、次男誕生。 |
| 2005年5月〜8月 | ハローワークの紹介で 希望の職業訓練を受ける。 (Web制作総合科) |
おかげさまで、みんな元気! 私の両親が近くにいてくれるので 何かと子どものことを頼む日々。 |
| 2005年8月〜現在も | その後学校の紹介で 着物やさんのネットショップのお手伝い。 さらに、今年の2月からは、近所の方の紹介で、 夜勤専門で、介護病棟勤務を 月に数回している。 |
子どもも二人とも小学生に。 母の協力があってこその今です。 夫は、ミュージシャンでありながら、 ネットラジオ、会社設立など、忙しい |
2006年05月11日 13:23